「今日も薬を頼むよ。妻夫本さん」
「ハルさん、いつも来てくれてありがとうございます。お掛けになってお待ち下さい。」
「いつまででも待ってるよ。さて、どっこいしょ。」
そういって、南野ハルはBJ薬局の待合室に置いてある長椅子に腰掛けた。
南野ハルは、東島クリニックに通う78歳のおばあちゃんだ。
かかりつけの東島クリニックからBJ薬局は遠くはない。かといって、決して近くはない。
普通の人では歩いて10分もかからないが、ハルの足で歩くと15分程度はかかる。それでも、わざわざBJ薬局に来てくれている。
それには理由があった。
東島クリニックを開業した東島医師は、BJ薬局の向かいにある永禄病院出身だ。
南野ハルは、東島医師が開業するのを聞いて、そのままついていったのだ。
普通、クリニックの前には門前薬局と言って、必ずと言っていいほどクリニックの目の前か隣に薬局がある。
その門前薬局で薬をもらえば、すぐに薬をもらえるし、クリニックと連携が強いため、在庫の心配もなく、医師との信頼関係も築けている事も多い。
しかし、その門前薬局にはあえて行かず、わざわざ妻夫本を選んで薬局に来てくれるほど、気に入っていたし信頼していた。
「南野ハルさ〜ん、お待たせしました」
「今いくよ。どっこいしょ。」
「あっ、急がなくて大丈夫ですからね」
「わかってるよ。それで、薬はいつもと同じかね?」
「いつもと同じです。体調はお変わりないですか?」
「変わらないよ。ほら、血糖値だって200超える事ないんだから。ヘモグロビンA1cも6だよ。」
どうだ、すごいだろうと言わんばかりに、糖尿病手帳を妻夫本に見せつけてきた。
血糖値はハルの言う通り、200を超える事はなく、70以下にもなっていない。平均するとおおよそ、120前後でコントロールされていた。
以前はコントロール不良の時期もあったが、今は運動と食事を気をつける事で、内服はベイスンのみになっている。
「これもあんたのおかげだよ。前の薬剤師さんは、ちっとも薬の事知らないしきちんと説明してくれなかったんだけど、あんたは違ったからね。あんたみたいに親身になってやってくれる人はいないね。」
「ハルさん、最近はお薬を飲み忘れる事はないですか?」
「ちゃんと、1日3回、食事の直前に飲んでるよ。もう前のように飲まない事はないよ。」
「そうですか。薬はもう安心ですね。そういえばハルさん、最近散歩はされてるんですか?」
「毎日1時間。朝5時に起きて家の周りをうろうろ歩いてるよ。来月ウォーキング大会に出る事にしたから。ほら、先生から適度な運動をするように言われてるからね。10kmでちょっと長いけど、挑戦しようと思って。」
「そうですか〜。南野さん、アクティブですね。」
「まだまだ、動けるからね。人生楽しまなくっちゃ。それじゃあ、また来るよ。次の予約は1ヶ月後だから、薬とっておいてね。ありがとうね、妻夫本さん」
「ハルさん、またお待ちしております。」
そういって、南野ハルはBJ薬局を出ていった。
そして、1ヶ月後に来局したのは、南野ハルではなく、その娘、南野夏子だった。

「南野ハルさ〜ん」
妻夫本が投薬をしようとして南野ハルを呼ぶと、投薬カウンターに近寄ってきたのは、南野ハルではなく、50代前後でロングヘアー、パンツスーツできめた浅野温子ばりのバリバリキャリアウーマンといった女性だった。
「はい、南野ハルの代理です。」
「今日ハルさんは、どうされたんですか?」
「母は、先日足を折ってしまって来れないんです。この間はクリニックの近くで薬をもらったんですが、母がこの薬局で薬をもらうようにって言って、こちらにきました。」
「え?ハルさん、足をおっちゃったのですか?」
「そうなの。なんだか、ウォーキング大会でるから張り切って練習してたみたいなんだけど、その時に段差か何かで挫いちゃったみたいで。」
「手術もされたのですか?」
「そんなに重症ではなくて、ヒビが入った程度だから、ギプスで固定しただけです。でもしばらく歩けないから、今日は私が代理で薬をとりにきたんです。」
「ハルさん、ウォーキング大会は出場できなくなってしまいましたね。」
「そうなの。それで本人も元気なくしちゃって・・・。」
「そうでしたか…」
その間、妻夫本はお薬手帳を見ると、いつものベイスンに前回他の薬局でグラクティブが追加になった事に気づいた。
血糖値が高くなったのだろうか。
今回は夏子の急ぐ様子を察した妻夫本は、骨折と近況の事を夏子に伺う事だけで時間がいっぱいのように感じ、ハルの服用している薬と注意点等、一通り説明するだけでその日の投薬は終了した。
「ハルさんに、よろしくお伝えください。何かあったらいつでもご連絡くださいと。」
「ありがとう。母に伝えておきます。」
そう言って、南野夏子は急いで薬を持ってBJ薬局を後にした。

その1ヶ月後
「南野ハルさ〜ん」
妻夫本はその名前を呼ぶと、またそこに現れたのは南野夏子だった。
「今日もお願いします。母はまだ歩けないので」
「そうですか、大変ですね。ところで、今回薬が変わっていますね。ベイスンがシュアポストという薬に変わってます。」
「そうです。またちょっと血糖値が高かったみたいで、薬を変えて様子を見ようという事になりました。」
「今回変更になったのはシュアポストというお薬です。このお薬は〜」
妻夫本は一通り、薬の説明や副作用、その他気をつける事を夏子に説明したが、その間もぼんやりとした不安は拭えなかった。
「ハルさん、ご飯や身の回りの事は出来ている感じですか?」
「それが…。実は、私と母はあまり仲が良くないから、家に行っても中まで入れてくれないんです。今日も薬を渡しに行くだけ。私は家の事はわからないわ。でも、娘に代わりに様子を見に行ってもらった事があったんです。娘は、ちょっと散らかってたけど、ご飯は食べてるみたいだったって言ってました。」
「そうですか。なら良いのですが…。そうだ、夏子さん、本日糖尿病手帳はお持ちですか?」
「それは何?お薬手帳とは違うの?」
「いつもハルさんが来る時は、糖尿病手帳を持って来てくれます。血糖値を記入する手帳なんですけどね。」
「私、知らなかったわ。今度、本人に聞いてみます。」
「お願いします。それと、何かあったらいつでもご連絡ください。」
「いつもありがとう。母が言ってた通りここの薬局親切ね。今度は1ヶ月後ではなくて、2週間後にまた来ますので、よろしくお願いします。」
「次回は2週間後ですね。またお待ちしております。お大事になさってください。」

2週間後、南野夏子BJ薬局を訪れた。3度目の来局だ。
「南野さ〜ん」
「今日も私が来ました。よろしくお願いします。」
「また、薬が増えてしまいましたね。」
「そうなんです。どうも、血糖値が200超える事もあったみたいで。200って高いんですか?」
「200はちょっと高いですね。普通の方なら120前後が一番良いとされているのです。でも、ハルさん、最近200を超える事はほとんどなかったんですけどね。」
「母は、どうしたんでしょう。そうだ、これが先日おっしゃっていた糖尿病手帳を持ってきました。」
「ちょっと拝見してもよろしいですか?」
「どうぞ。」
先月までは1日3回きっちり記入されていた血糖値がところどころ穴空きになってきており、最近はほとんど記入されていなかった。
血糖値は徐々に上昇し、最近では200を超える時も見受けられる。
「血糖値上がってきてますね…。最近も家には入れてくれないんですか?」
「やっぱり、私はダメね。入れても玄関まで。それに、私も最近は仕事が忙しくて、薬を渡す時以外は家に行けないのよ。」
「そうですか…。もし、よろしければ私がハルさんの家に伺うのはどうでしょうか?」
「え?そんな。悪いわよ。」
「いえいえ、ぜんぜん悪い事なんてありません。私もハルさんの体調が気になってまして、ちょっとお顔を見るついでに私の方からお薬も渡しておきます。」
「でも、良いのかしら。」
「えぇ、本日の夕方にハルさんの家に伺います。ハルさんには私のほうからご連絡しておきます。それと…。」
妻夫本は在宅管理料について説明し、訪問には幾分かの手数料がかかる事を説明したが、夏子は快く承諾してくれた。
「助かるわ。実は、今日この後大事なミーティングがあって、それを遅らせて来たのよ。それなら、先方にも迷惑がかからず、このままミーティングに行けるわ。何かあったら、この携帯電話に電話下さい。よろしくお願い致します。」
「承知しました。何かありましたら、お電話差し上げます。」
夏子が名刺を差し出し妻夫本がそれを受け取ると、急いで夏子は車にのって走り去っていった。
「さて、訪問の準備をするか」
妻夫本は東島医師に電話にて在宅訪問の許可を得て、ハルの薬と血糖測定器や血圧計、聴診器等、在宅でバイタルサインをとるための器具を用意し、その日の夕方ハルの家に向かった。

ハルの家は築30年程の市営の団地だ。
かつては家族で住む事が多かった団地は、現在ほとんどの住人が高齢者になってしまっている。
妻夫本は以前もこの団地に住む別の患者に訪問した事があった。
その時は大量の薬を整理し、薬カレンダーを使用し、1年をかけてコンプライアンスを正した思い出深い場所でもある。
そのため迷う事なく、来る事ができた。
妻夫本はハルの家であるB-102号室に着くと、ドアの前にはすでに先客がおり、ハルの家の前で今にも呼び鈴を押した所であった。
「こんばんは〜」
妻夫本が声を掛けると、小さな声で「こんばんは」と返事をした。
「あっ、君はひょっとして、ハルさんのお孫さん?」
「はい。」
彼女はうつむき顔で答える。
「はじめまして。薬剤師の妻夫本です。今日はハルさんのお薬を届けにきました。」
「あっ、おばあちゃんの孫の南野みぃです。」
というと、目の前の重い鉄の扉が開いた。
「みぃちゃん、いらっしゃい。あっ、あんたも一緒かい。」
扉からはハルが顔をだし、驚いた様子でそう言った。
「ハルさん、お薬届けにきました。」
「あら、そうかい。夏子さんが頼んだのかい?」
ハルは妻夫本を見て、その後、みぃに目をやった。
みぃだけならすぐに家に上げるところだが、妻夫本が一緒だとすぐに家に上げるのもためらわれた。
「夏子さんは、急ぎの打ち合わせがあったみたいで、代わりに私が。でも、頼まれたわけではないのです。ただ、ハルさんの薬が最近増えたから、心配になって来てしまいました。」
笑顔でハルにそう告げると、ハルは観念したのか、
「二人ともあがって」
と、妻夫本が家に上がる事を許した。
ハルは家の中でも4つ足の杖をつき、ゆっくりと中へ案内した。
家に上がると、キッチン、リビング、和室の3部屋がつながった、いかにも団地という間取りが広がる。
「ちょっと散らかってるけどね」
ハルの言う事に間違いはなかった。
ゴミ袋は2袋たまり、ダイニングテーブルの下にはゴミが散乱していた。
「おばあちゃん、ちょっと掃除するね。」
「みぃちゃん、いつもありがとうね。」
そう言うと、みぃは手際よくゴミを45Lの指定ゴミ袋に入れはじめる。
「足が痛くてね。下に落ちたゴミはなかなか拾えないのよ。」
ハルの骨折は治ってきたものの、まだギプスはしている。
足下のゴミを拾ったとしても、その後立ち上がる事はとても重労働な事が容易に想像できた。
そのため、足下にゴミが散乱する事はしょうがないのかもしれない。
「ところで、妻夫本さん、わざわざご苦労さん。家まで来てくれて。悪いねぇ」
「いえいえ、ハルさんが心配でさ。最近血糖値が悪いみたいじゃない。薬局にも来てくれないし、どうしたのかなぁと思って」
「悪いねぇ。この足じゃあねぇ。」
妻夫本は、薬局に本人が来てくれれば、今回のように薬が増えずにする事ができたかもしれないと思っていた。
「ところで、足の痛みはありませんか?」
「痛みはないよ。ただ、不便だねぇ。足が動かせないってのは。」
「ハルさん、大変ですね。普段、ご飯はどうしてるのですか?」
「あんまり遠くに行けないから、買ってきて食べるばっかりになっちゃってるよ。」
気づけば、みぃの集めているゴミの中にコンビニ弁当らしきものがいくつも入っていた。
「薬は飲めてます?」
「薬ね。いつものは飲んでるんだけど、この前ちがう薬になったじゃない。最初は先生の言われた通りに飲んでたんだけど、これ見てよ。この副作用って所に、心筋梗塞ってかいてあるだろう?これが怖くてさ。今は飲んでないよ。」
「ハルさん、このシュアポストは確かに、心筋梗塞がでたって報告はあるけど、めったにでるものじゃないんですよ。それも、心筋梗塞がでたのは外国人だから日本人で心筋梗塞になる可能性が上がるかどうかはわからないんですよ。」
「そうかい?まぁ、あんたがそういうなら信じてみるけど」
ハルの薬は、骨折前はベイスンのみでコントロールできていた。
しかし、骨折後コントロールが悪くなってきた為、グラクティブが追加となり、ベイスンからシュアポストに変更され、本日からアプルウェイが追加となっている。
どうも、薬はすべて飲んでいない様子である。
薬を飲まなければ血糖値は改善しない。当たり前である。
しかも、医師は飲んでいると思って処方している。
つまり、薬を追加しても改善が見られない。
医師にとっては、薬が十分効いていないと考えているであろう。
「ハルさん、血糖値が悪いのはハルさんに原因があったんだね。ハルさんは骨折後、趣味の散歩が出来なくなった。ご飯も買って食べる事が多くなったから、食事のバランスも悪くなってしまった。そして、薬も飲んでいなかった。」
「そうだねぇ。あたしもしょうがないねぇ。」
と、言ってハルはうつむいてしまった。
「おばあちゃん、悪いのは私。私が一緒にウォーキング大会に出ようっていったから。私が誘わなかったらおばあちゃん怪我しなかったもん!」
みぃが声を荒げて言った事に、妻夫本とハルは驚いていた。
「みぃちゃん、それは違うのよ。怪我をしたのは私のせい。みぃちゃんは悪くないよ。でもね、そう言ってくれてありがとう。」
ハルはみぃを抱き寄せるとやさしく頭をなでた。
「だって、私のせいだもん。」
「あんたが誘ってくれたおかげで、おばあちゃん元気でたよ。元気ですぎで無理しちゃっただけなんだよ。すぐに元気になるから、次のウォーキング大会には一緒にでてくれないかい?」
「おばあちゃん…」
「ハルさん、元気になるには、まず糖尿病を良くしないとね。これがよくならないと、骨折も治りが遅れるんだよ」
「そうだね。あんたの言う通り、薬は毎回ちゃんと飲むよ。」
「うん、薬はちゃんと飲んで欲しい。でも、その前に先生と話をさせて。ちょと報告と相談したいんだ」
妻夫本はそういうと、携帯電話で東島医師へ電話をした。
血糖値が悪化した理由を伝え、今回追加されたアプルウェイの削除を依頼した。
「ハルさん、今回新しく追加された薬があったんだけど、それは見送ってもらうよう頼んだよ。僕の考えだと、今の薬、シュアポストとグラクティブをちゃんと飲めば大丈夫だと思うんだ。東島先生も納得してくれて次回診察でまた検討するって事を言ってくれたよ。」
「そうかい、そうかい」
そうは言ったものの、妻夫本はコンプライアンスには一抹の不安があった。
本当に飲んでくれるだろうか。
もし、飲んでくれなかったらアプルウェイが追加となる。
運動ができない状態でメトグルコを追加しても明かな改善は認めないだろう。
インスリンを追加するには、手技が問題だ。
そう考えると、この状況でアプルウェイの追加は妥当だ。
しかし、SGLT-2の副作用リスクを懸念すると、シュアポストとグラクティブだけでコントロールしたい。
薬はまた飲まなくなる可能性も否定できない。
今回自己中断した事を考えると、ハルを信じきれない。
コンプライアンスをどうしようか。
悩んでいた妻夫本にそれを一気に解決する言葉を、孫のみぃが放った。
「私、おばあちゃんにちゃんと薬を飲んでもらいたいから、学校終わったらおばあちゃんち寄るね。足が良くなるまで、掃除もするから。それと、ご飯も頑張って作る。」
みぃがそういうと、ハルも妻夫本も表情が一変、光が差し込めたような笑顔に変わった。
「みぃちゃんいいのかい?」
「うん、まだ受験まで時間あるし、大丈夫。」
みぃは自分がハルの足の骨を折ってしまった原因を作ってしまった責任を感じていたが、それよりも責任感よりもハルを思う気持ちのほうが強かった。

それから2週間、みぃはハルの家に放課後毎日訪れた。
毎日薬をちゃんと飲んだか確認し、掃除し、夕飯を作って帰った。
そして、ハルの薬をもらいに来るのは、夏子ではなくみぃになった。
「南野ハルさ〜ん」
「あっ、はい。」
「今日はみぃちゃんが来たんだ。」
「お母さん忙しくて。」
「最近も毎日ハルさんのところ行ってるの?」
「はい。先週は毎日。」
「すごいね。ハルさんはお薬ちゃんと飲めてる?」
「もちろんです。ちゃんとおばあちゃん飲んでます。」
みぃは笑顔で答えた。
「おばあちゃんが薬をちゃんと飲んだから、血糖値前よりも良くなってきたんです。それで、薬は増やさず様子を見ようって先生に言われました。」
「そっか。良かったね。」
「それで、この前追加しようとしてた薬って、怖い薬なんですか?」
「正しく使えば怖い薬じゃないんだ。けど、膀胱炎や低血糖のリスクがあるから、今のハルさんにはなるべく使わずに血糖コントロールできたらなぁって思ったんだよね。だから、今回も追加されなくて良かったと思ってる。」
「そうなんだぁ。あと、このお薬って…」
みぃは次々と薬の質問を投げかけてくる。妻夫本はそれにすべて丁寧に答えていった。
「そうなんだぁ。すごい良くわかりました。ありがとうございます!」
「どういたしまして。薬の事でわからない事があったら、何でも聞いてくださいね。それと、ハルさんをよろしくね。」
「おばあちゃんの事は任せてください!」
そう言ってみぃは、薬の入ったビニール袋を持ち、薬局を後にした。
妻夫本は安心感を持って、彼女の背中を見送った。

その後もハルの薬はみぃが取りにくるようになり、その都度薬の事を質問し、さらには血糖測定の方法や、食事療法まで質問するようになっていた。
その甲斐あってか、ハルの血糖値はみぃが介入する前に比べ、著明に改善していた。
そしてある日、こんな事を聞いてきた。
「妻夫本さんってどうしてそんなに薬の事も糖尿病の事も詳しいんですか?」
「それは、勉強してるからだよ。」
「やっぱりそうですよねぇ。勉強ってどうやってしてるんですか?」
「まぁ、普通に参考書読んだり、学会行ったり、勉強会も行ってるよ。例えば…。」
妻夫本はそう言うと、みぃを薬局内に手招いた。
そこには勉強会のちらしがコルクボード一面に張ってあった。
「勉強会もいろいろあってね。薬剤師会が主催するものから、メーカーが主催するもの、それとはまったく関係なく有志で行うもの、などなど」
「へぇ〜、いろいろあるんですね。このハンコ押してあるのは何ですか?」
「それは、行く予定の人。行く人がわかっていればみんなで行けるし、タクシー使えば乗り合いできるでしょ?」
「そうなんだ〜。こういう勉強会って私も入れるかな?」
「う〜ん、高校生は難しいかもしれないけど、薬学生ですって言って、付き添いがいれば入れるかも。」
「ふーん、そっかぁ。」
「妻夫本さ〜ん、投薬おねがいしま〜す。」
「おっと、ごめん、次の患者さんのところ行かなきゃ。」
「あっ、ありがとうございました。また、来ますね。」
「うん、ハルさんをよろしく!」
そう言って、妻夫本は次の患者に、みぃはハルの家に向かった。
もちろんみぃは、来週末に行われる糖尿病勉強会に妻夫本の印鑑が押してあるのを、見逃していはいなかった。
一緒に勉強会に行きたいと言えれば良かった。
もう少しの勇気がでれば言えたかも知れない。
喉元まで出そうになった言葉は、タイミング悪く押しつぶされてしまった。
しかし、チャンスはなくなったわけではない。
当日会場で妻夫本を待ち伏せ、一緒に中に入れてもらえばいいのだ。
その日はいつものセーラー服ではなく、ちゃんと私服で、ちょっと大人っぽい服を着ていこう。
そうすれば、勉強会に参加できる。
そして、あわよくば妻夫本が自分の事を女性として見てくれるかも知れないと、みぃは思った。

勉強会当日
みぃは自分が持っている服から、精一杯大人っぽい服を選んでいた。
とは言っても、高校生。
大人っぽい服なんて持ってはおらず、白いブラウスに紺のスカート、黒のパンプスという親戚の法事に行くような、無難な出で立ちとなってしまった。
それでも、普段のセーラー服か、私服ならパーカーと短パン、スニーカーに比べれば、十分大人らしい服装だ。
その勝負服を着て勉強会の会場である市民会館の入り口付近で妻夫本を待った。待っている時に、ふと、入り口の真ん前で待っていると、あからさまに待ち受けている感じがでると思い、入り口が見えるすこし離れた所で待ち、妻夫本が見えたら後ろから声を掛けようと作戦を変更した。
その時、妻夫本が見えた。
しかし、その隣には20代後半、芸能人で言うと、榮倉奈々に似た綺麗な女性の姿があった。
薬局では見た事のない女性だから、BJ薬局の薬剤師ではない。
ひょっとしたら、妻夫本には彼女がいたのかもしれない。
彼女がいるのに、声なんてかけられないよ…。
そう思っていると、そのまま妻夫本は入り口に吸い込まれていってしまった。
冷静に考えれば、妻夫本のような綺麗な顔立ちで高身長、しかも優しい男に彼女がいないなんてありえない。
左手の薬指に指輪をしていなかった事を考えると、たぶん結婚はしていない。
そもそも結婚していない事もおかしいくらいの素敵な男性だ。
それなのに、彼女もいないなんて考えるのはあまりに自分に都合の良い考え方をしていた事に今となって気づかされる。
もちろん、彼女がいなかったとしても付き合えるなんて思ってはいない。
かといって、やっぱり彼女がいる事はショックであった。

あるハルの診察日
薬を取りにきたのはハル本人であった。
「ハルさんもう大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。心配かけたね。」
「良かったですよ。一時は血糖値も悪くなっちゃうし、どうなる事かと思ったんだから。」
「そうね。でも、こうして良くなったのは、あんたとみぃちゃんのおかげだよ。」
「みぃちゃん、今日はどうしたんですか?」
「今日は学校の試験だよ。ところで、あんた、結婚はしとるのかね?」
「独身です。」
「あんた、良い男なのに独身かね?は〜、じゃあ、彼女はいるんかい?」
「それが今いないんですよ。」
「あら!じゃぁ、うちのみぃちゃんはどうかね?いい子だよ〜」
「あはは。でも、みぃちゃんまだ高校生じゃないですか。」
「じゃあ、高校卒業したら考えてくれるのかね。」
「考えておきます。」
「その言葉聞いたよ。ボケても今の言葉だけは忘れないんだから。それはそうと、今日の薬はいつもと同じかい?」
「今日の薬はいつもと違います。痛み止めだけですよ。」
「あぁ、そうだったね。もう糖尿病の薬は飲まなくて良くなったね。」
ハルの糖尿病治療はみぃの指導により、食事、運動、服薬を完璧にこなし、今回から薬はなくなっていた。
処方されたのは、リハビリ時に足の痛みが時折でるため、その痛み止めだけだ。
「みぃちゃんのおかげですね。」
「良い孫を持ったもんだよ。みぃちゃんの言う事を聞いていればいつまでも健康だね。」
みぃをここまで育てたのも、妻夫本がみぃに指導を行ったからだ。
自分の知識、経験を全てみぃに伝授したつもりであった。
その結果、ハルがここまで回復した事は、妻夫本にとっても誇らしかった。
一方で、みぃの件に関しては複雑な心境であった。
実は気になっている人がいる。その事をハルに告げる事が出来なかった。
「じゃぁ、また来るよ。まだ結婚するんじゃないよ。」
「ハルさん、お大事に」
妻夫本は笑顔でハルを見送った。

それから、来局するのはハルだけで、薬は処方されなくなったが、そのかわりアミノバイタルを買っていくようになった。
その理由を聞くと、ウォーキング大会のリベンジをするためで、練習前後にアミノバイタルを飲み、筋力アップと疲労回復をしているそうだ。

そして、季節はいつの間にか晩冬になっていた。
ハルは相変わらず来局したが、みぃが薬局へ来る事はなかった。
あれほど熱心に薬の事や治療の事を聞いてきたみぃが来なくなったのは妻夫本にとってもさみしかったが、体調を崩したとか、事故にあったなど、悪い話を聞く事もなかったため、単に受験勉強で忙しいのだと考えていた。
そんなある日の夕方、薬局に電話がかかってきた。
「はい、BJ薬局妻夫本です。」
「お久しぶりです。南野みぃです。」
「みぃちゃん!」
久しぶりの声に妻夫本は驚き、声を上げてしまった。
「あの、今日この後薬局に伺っても良いでしょうか?」
「大丈夫だよ。今日はもう患者さんも来ないと思う。」
「じゃぁ、19時前には伺います。」
「わかった。待ってるよ。」
「それでは、失礼します。」
妻夫本は久しぶりのみぃからの連絡に驚き、要件も聞かず電話を切ってしまった。
ずっと気になっていた。みぃが元気でいるのか。
言ってみたら妻夫本にとって、あれだけ優秀な生徒はいなかった。
実習生を指導しても、後輩を指導しても、あれだけ積極的に聞いてくる者はいなかったし、ハルのように素晴らしい結果を出す者もいなかった。
もうみぃには会えないものかと思っていたため、みぃとの再会は妻夫本にとっても心躍るものであった。
「こんばんは〜」
「あっ、みぃちゃんと、ハルさん!」
みぃとハルは薬局に一緒に現れた。
「今日は薬じゃないよ。あんたに大事な話をしにきたんだ。みぃちゃん、ほら、教えてやんな。」
「あの、妻夫本さん、私…」
突然の告白に妻夫本は息をのむ。
「私、野口大学薬学部に合格しました!」
「え〜!?」
妻夫本は驚きと喜びで言葉がでない。
みぃが大学受験するとは聞いていたが、薬学部、しかも、妻夫本の母校である、名門野口大学に合格するなんて思っても見なかった。
「ほんとに!?」
「本当です!」
「すごいじゃん!」
「この子ね、あんた見て薬剤師になろうと思ったのよ。そっから猛勉強。すごかったわよ。」
「おばあちゃん、それは言わないって約束したじゃん。」
「いいのよ、いいの。」
みぃが薬局に来なかったのは、受験勉強をしていたから来れなかったのだ。
夏の模擬試験ではD判定だった野口大学だったが、それを本番では覆したのだ。
幸いにもハルは夏には自立できるほど回復しており、みぃの助けは必要となくなっていた。そこからは猛勉強の日々だった。
もちろん、薬局に来なかった理由は勉強のためだけではない。
妻夫本と彼女らしい人が一緒にいたのを目撃したおかげで、来づらくなってしまったのは間違いない。
一時期はそのせいで元気をなくしたものの、あとでハルより妻夫本は未婚で彼女もいないという事を聞き、勉強を頑張る事にしたのだ。
もし、妻夫本と同じ名門野口大学に合格すれば、何か変わるかも知れない。
みぃはそう思って、必死に受験勉強をし、合格を勝ち取ったのだ。
「ところで、あんた覚えてるかい?」
「え?何をですか?」
「しらばっくれるんじゃないよ。みぃちゃんが高校卒業したら、ちゃんと考えてやってよ。」
「は、はい。あはは。」
もちろん妻夫本はその約束は覚えていた。
みぃは確かに可愛い。
顔は整っているし、小柄でショートカットのみぃは時折、ひまわりのようなはじける笑顔を見せる。
同級生なら恋に落ちていても不思議ではない。
ただ、年が離れているせいか、妻夫本にとってはかわいい妹のようにしか見えなかった。
とりあえず、今は笑ってごまかすことにしたが、ハルの表情はあながち冗談で言っているようには思えなかった。
みぃの事を本気で考えるにしても、少し時間がかかりそうだ。
「妻夫本さん、一緒に写真とってもらえませんか?」
「いいよ。じゃあ、事務さんに撮ってもらおうか。」
といって、事務にデジカメを渡すと、ハイチーズのかけ声でシャッターが落ちた。
写真を確認すると、ハル、みぃ、妻夫本と最高の笑顔で撮れていた。
「それと、こっちでも」
みぃは自分のスマホをとりだすと、カメラをインカメラに切り替え、妻夫本に顔を寄せた。
「とるよ〜。ハイチーズ♪」
スマホの画面には、みぃと妻夫本の恥ずかしいくらい緩んだ笑顔がうつっていた。
「あっ、写真出来たら送りますね。」

数日後、薬局に送られた写真に加え、可愛らしいピンクの便せんにみぃの感謝の気持ちが綴られていた。
それは、ハルが良くなるまで、みぃにいろいろ教えてくれた妻夫本への感謝の気持ち、そして、これから大学生になる事への決意、薬局への感謝が丁寧に綴られていた。
それに加え、封筒から小さな折り紙のようなものが転げ落ちた。
それは、小さく折られ、のり付けされ「妻夫本さんへ。こっそり読んでね」と書かれた、いかにも女子高生が授業中に回すような手紙が入っていた。

私、ずっと妻夫本さんの事を尊敬しています。
妻夫本さんのような薬剤師を目指します。
それと、もし、今付き合っている人がいなかったら、付き合ってください。

次回薬剤師ドラマ第6話 南野みぃ編 薬学部って楽しいの?

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