どうも、所長です。
私、普段は病院で働いています。
以前、入院されていた方がオペのため再入院されました。
前回の入院から、気さくに話しかけて頂いて良くして頂いたのですが、
今回の退院時にこんな金言をいただきました
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人は宿命に生まれ
運命に出会い
使命に燃えて
天命に尽きる

頭を下げる
頭が下がる
似ているようで
おお違い

この患者さんは和尚さん達と仕事をすることもあるため、
このような名言に詳しいそうです。
この言葉、本当に身にしみます。

まず、前半部分について
調べてみた所、故小渕恵三首相の言葉のようです。
私はまだまだ30代前半の若造です。
やっと運命に出会って、使命を見つけはじめた所でしょうか。
天命に尽きるまでは、まだまだ時間があります。
使命を全う出来るよう、
日々精進していこうと思います。

後半部分について
この言葉について調べてみたところ、法話によるもののようです。

解説はこちら

頭を下げるということは、自分の都合、ハカライ(我執)なのです。本当は私の方が正しいのに仕方がないから頭を下げるとか、あの人に今度世話になるから頭を下げるとか、あの人は上司だから頭を下げておこうとか、頭を下げなかったら自分の立場を悪くするための我執にもとづいた行為なのです。そして頭を下げながら人を見下げていることもよくあります。

 しかし頭が下がるということは、私の都合、ハカライではありません。素晴らしいものに出遇って感動した時や、私を生かさせてくださるものに感謝した時、「おかげさま」と頭が下がり、また私の恥ずかしさ、愚かさに気づいた時、「おはずかしい」と頭が下がります。

 頭が下がるとは、「おかげさま」、「おはずかしい」というお念仏のはたらきなのです。「南無」と頭の下がる時、私の恥ずかしさに気づき、「阿弥陀仏」と私を支え生かさせてくださる働きにめざめた時、おかげさまと喜べます。お念仏は、私たちに温かい人間らしい心を引き戻してくださるのです。

『聞法(1993(平成5)年7月15日発行)』(著者 : 不死川 浄)より


なるほどです。
個人的には頭が下がる思いはたくさんしております。
先輩や同僚に助けてもらって、頭がさがったり、
自分の未熟さに頭が下がる事も多いです。
そして、ただ頭を下げるような謝罪も時にはしてしまいます。
人を見下せるほど自分は偉くはありません。
再度自分の立ち位置を確認し、謙虚に生きていこうと思います。

「が」と「を」たった一文字だけなのに、これだけ意味が変わってくる。
日本語は奥深いですね。